竣 工:1932(昭和7)年 発注者:服部時計店 設計者:渡辺仁建築工務所、建築構造研究所 施工者:清水組 所在地:東京府東京市京橋区(現 中央区)
竣 工:1932(昭和7)年 発注者:服部時計店 設計者:渡辺仁建築工務所、建築構造研究所 施工者:清水組 所在地:東京府東京市京橋区(現 中央区)
古くから築地居留地~日比谷の東西軸、横浜居留地~日本橋の南北軸が交わり、舶来文化を象徴する場所であった現在の銀座4丁目(旧尾張町)交差点に建つ、日本近代の都市文化を代表する建築である。服部金太郎が1881年に創業した「服部時計店」の同地における二代目の時計塔ビルであり、気鋭の建築家と構造家・江國(旧姓 田中)正義を起用、ネオ・ルネサンス様式の意匠と鉄骨鉄筋コンクリート造の耐震構造を有している。施工を担当した吉川清一(のちに社長)は1981(昭和56)年に回想する。 「このどん底景気を見通して服部金太郎翁のとられた決断は誠に驚嘆・敬服の極みであった」「半世紀にも及ぶ上戦火もかぶりながら尚今日の姿を保っているのは、こうした(石工など)工匠達が手がけたことのみならず、当時のお店の幹部の英断を今更ながら感服しています」。戦後は「和光本館」として親しまれ、現在は「SEIKOHOUSE GINZA」として進化しながら、時を超えて銀座の象徴であり続けている。